人工知能(AI)の進化は、現代社会に革命をもたらしています。近年、AIの技術はますます高度に発展し、私たちの日常生活において重要な役割を果たしています。
しかし、その一方で、AIへの過度な期待や依存が問題視されています。
そこで今回は、AIの進化に伴う期待と現実のギャップ、そして過信がもたらすリスクについて、茨城大学の鈴木智也教授に詳しくお話を伺いました。
茨城大学大学院 機械システム工学領域 教授
鈴木智也(すずき ともや)
物理学で博士号を取得後、東京電機大学助手、同志社大学講師、茨城大学准教授を経て、2016年より同大学教授。2024年より同大学地域未来共創学環副学環長。
さらに、2017年からは大和アセットマネジメント(株)特任主席研究員、2018年からはCollabWiz(株)代表取締役を兼務しながら、データサイエンスや機械学習によるビジネス利活用を研究テーマに取り組む。AIを用いた料理対決では有名シェフに勝利。
産学連携で「データに基づいた根拠のある運用」を目指す
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:鈴木様の研究室は、金融や不動産、自動車、食品業界などの様々な企業や自治体と共同で研究を行い、実務に役立つビジネス支援技術を開発されていると存じ上げております。
近年では、地方銀行である常陽銀行との共同研究において、株価取引にAIや機械学習を活用する取組みが注目されています。この度、共同研究に至った経緯についてお伺いできますでしょうか。
鈴木教授:銀行や金融機関にはプロフェッショナルな方がたくさん在籍されていますが、個々人の主観的な経験則に基づいて業務判断する場合もあるでしょう。しかし主観性が増すほど、成功する場合もあれば、そうでない場合もあるなど、不透明なリスクが増えます。
そこで、銀行だけでなく様々な民間企業や自治体などにおいて、データに基づいた客観的な判断を支援するツールの開発に取り組んでいます。
これまでは人間の主観によって政策が決定されてきましたが、最近はEBPM(エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング)といった「証拠に基づく政策立案」が重要視されています。要するに、国や地方自治体の政策にも客観的な根拠が求められる世の中になっています。
金融業界も同様であり、データに基づいた根拠のある資産運用を目指しています。しかし、それは容易なことではありません。そこで、人間を支援するシステムの開発を、大学としてお手伝いできるかもしれないと思い、共同研究を始めました。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:ありがとうございます。なんとなくではなく、根拠を持った意思決定を可能とするためにAIが使われているということでしょうか。
鈴木教授:そうですね。例えば、一番簡単なのは見える化ですよね。データは通常、単なる数字の羅列であり、なかなか特徴が見えにくいものです。そこで、統計学を使いながらデータを解釈し、それをグラフとして示すツールからスタートします。
勿論、機械ですから、人間が気付きにくいことを見つけ出し、人間の認知能力を超えるスピードで大量に計算できるのが機械の魅力です。そういった人間ができない能力をサポートすることが求められています。このように、AIは人間の認知能力や運動能力の限界を超えるためのツールとして期待されています。
身近な例として、Google検索は非常に優れており、大量の情報から一瞬で検索ワードに関係するサイトを発見してくれます。このような量や速さにおいて機械は非常に便利ですが、AIの知能や賢さに対する過信は禁物です。
最近多くの人が利用するChatGPTも同様です。ChatGPTは、ユーザーの質問に対して適切な回答を検索して加工するシステムです。大変便利なツールですが、知性においてはあまり賢くはないという認識が大切です。広範なジャンルの質問にも対応できる点は大変優れていますが、個々の回答精度については人間と比べて知的に優れているとは言い難いです。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:最近では、ある高校がChatGPTにテスト問題を作成させ、人間がその間違いを指摘するというニュースもありましたね。AIの活用が進む中で、どのような場面でAIが限界を示すか、ということは確かに重要ですね。
鈴木教授:AIは人工知能というように、そもそも人間同等の知能の再現を目指しているわけです。しかし機械ゆえの処理スピード、大量処理、および自動化などのメリットが加わった結果、AIの使い方次第で人間を超越する「道具」になり得ます。しかし道具なりの限界もあるため、使い方や使い道に注意が必要です。
一方で、2016年に囲碁の最強AIであるAlphaGo(アルファ碁)が世界トッププロに勝利を収めたことをきっかけに、一気に注目を浴びました。しかし、AIは明確なルールのあるゲームにおいて強力ですが、なぞなぞのような発想転換を要する芸術的な社会においては同じように上手く機能するとは限りません。
勿論、AIによる定型処理の自動化は非常に便利ですが、人間のような創造的な生産をするわけではありません。あくまでも過去の大量のビッグデータを統計的に処理し、最も辻褄が合う平均的な答えを出すのみです。ChatGPTも同様です。
結局、過去のデータに制限されるという限界があり、世間ではAIはスゴイものだとされていますが、AIが行うことは奇跡的なものではなく、世間の皆さんが思っているものと現実には少しギャップがあるように思います。
ちなみに冒頭のプロフィールにて、AIを用いた料理対決で有名シェフに勝利しましたが、常陽銀行との共同研究と同様に、AIと人間が協働するシステムを独自に開発して対決に挑みました。
AIと人間それぞれに強みがあるため、互いに協力することで互いの限界を突破するというコンセプトです。詳細は割愛しますが、AI単独に任せるのではなく人間も関与することで問題解決できる範囲が広がります。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:確かにAIと聞くと単独で勝手に動作するイメージがありますが、そもそも道具ならば人間と合わせて使い方を考えるべきですね。
ちなみに、鈴木様がAIの研究をされるようになったきっかけについてお伺いしてもよろしいでしょうか。
鈴木教授:最初はAIの研究ではなく、物理学を専攻していました。AIは非常に広い分野であり、検索や会話や最適化など様々なジャンルが存在します。その中で、私は機械学習という分野に興味を持ちました。
興味を持った理由は、学生時代から金融市場の分析を行っており、将来の株価変動を予測したいと思ったからです。そのためには、過去のデータを機械に学習させて、未来の変動を予測することが必要であり、そのために機械学習という手法が適していると考えました。
それがAIの関連分野だったので、徐々にAI全般について研究するようになり、研究対象も様々に派生していきました。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:ありがとうございます。
また、先ほどAIへの過信についてのお話もございましたが、投資判断を全てAIに任せれば上手くいくんじゃないかと考える人も多いと思います。実際にそのようなことは不可能なのでしょうか。
鈴木教授:感情まかせの無知な投資よりは遥かにマシですが、ノーリスクの投資は不可能ですね。もし本当にできるならば、バフェット並みに目立つ存在になっているはずです。税金を納めて長者番付に載りますので。
しかし、実際はそんなことはなく、様々な問題があります。結局、AIや機械学習は過去のデータに基づいており、それを統計処理して判断しているに過ぎません。
例えるならば、バックミラーだけを頼りに自動車を運転するようなものです。それでは危険ですし、事故が起きてしまいます。経済市場においても同様です。経済現象はリアルタイムで起こり、国の政策や状況によって生き物のように変化するため、同じシチュエーションは二度とないでしょう。
過去のデータに頼るだけでは、唯一無二の現状や未来に対応できません。この点においても、AIによる帰納的な発想法のみに依存せず、人間による演繹的な発想法にも頼る必要があります。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:金融業界が生き物みたいだという表現は非常に面白いですね。色々と考えさせられます。
鈴木教授:相場は生き物だと昔から言われていますね。金融市場は一人一人の取引を行うトレーダーたちの集合体であり、個々の多様な考え方が集う合唱団のようなものです。
それぞれ、歌が上手い人や下手な人がいるように、各自が異なる取引を行いますが、その集団全体として市場が形成され、群れ現象が生じます。これは、ある種の魚の群れのようなものですね。
金融業界におけるAI活用は難しい?「データ・スヌーピング・バイアス」の罠
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:近年、金融業務の一部においてAIや機械学習を活用する取り組みが増えていると言われています。
その一方で、鈴木様は「有価証券の投資判断」をAIに任せるのは難しいと提唱されています。先ほどのお話と関連する部分もありますが、その理由について詳しくお伺いできますでしょうか。
鈴木教授:まず、その理由の1つである「データ・スヌーピング・バイアス」というメカニズムについて説明します。これについては、じゃんけん大会の例を挙げると分かりやすいでしょう。
じゃんけん大会では、必ず勝つ人が出てきますが、これはまぐれであり、何回か勝負すれば必ず1人は連勝します。その人が新しいじゃんけん大会に出場しても勝てるかといったら、そんなわけではないですよね。
スヌーピングは「嗅ぎまわる」ことを意味しており、このように、複数の候補からNo.1を選出することで「まぐれ」を選出してしまうことをデータ・スヌーピング・バイアスと言います。見た目や結果だけ良くても単にまぐれなので、次の勝負には全く通用しません。
例えば、株の投資信託など、過去のパフォーマンスに応じてランキング表示する場合がありますが、そのランキングを過信するとデータ・スヌーピング・バイアスに陥る危険性があります。
ランキング上位の投資信託が、以後も好成績を継続できる保証はありません。過去のパフォーマンスは参考程度に留め、投資信託の良し悪しは投資コンセプトに納得できるかで判断すべきです。それが投資信託の信託である本質だと思います。
もう少し言うと、将棋や麻雀などゲームの種類において、データ・スヌーピング・バイアスの度合いが異なります。例えば、将棋では藤井聡太棋士のような強豪は次の勝負でも勝利する可能性が高いです。これは将棋においてまぐれの要素が少ないためです。
しかし、麻雀ではまぐれの要素がより多く混入するため、強豪が常に優勝するのは難しいです。このように、データ・スヌーピング・バイアスの度合いは、ゲームの技術介入度と関係します。
さらに、投資においては、もっと多くの割合で運の要素を含むでしょう。したがって、ランキング上位の投資信託が今後も好調だとは限りません。販売側は当然ながら良い結果を強調する傾向にあるため、顧客側はデータ・スヌーピング・バイアスを意識的に警戒することをオススメします。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:ありがとうございます。お話を伺う中で、そういったデータ・スヌーピング・バイアスを避けるためにはAIの学習方法も重要であるように感じました。
鈴木教授:AIの学習において注意が必要なのは過学習です。過学習は、学習させすぎて過去のデータに過度に適合してしまい、新しいデータに対して適用できなくなる現象です。
一方、データ・スヌーピング・バイアスは、単純に多くの方法から1つを選ぶだけで発生するものであり、過学習とはメカニズムが少し異なります。
過学習を防ぐには、過剰に複雑なモデルを避け、学習を過剰に繰り返さないことが肝要です。さらに、シンプルなモデルはデータ・スヌーピング・バイアスを防ぐ効果もあります。モデル間の比較が減るため、バイアスも抑制されます。まさにシンプル・イズ・ベストです。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:ありがとうございます。過学習とデータ・スヌーピング・バイアスの発生メカニズムの違いが良く分かりました。
また、鈴木様が研究において提唱される「手段ドリブン」と「目的ドリブン」についても、ご解説いただけますでしょうか。
鈴木教授:要するに「手段と目的のどちらから始めますか」ということです。当然、目的から始めるべきなのですが、ビジネスの世界においても何故か手段が目的になってしまうなど、手段と目的を混同することが不思議なくらい散見されます。
ChatGPTを使う場合も同様です。ChatGPTは便利なものだと過信していると、実際には効果が見えないのに、社内のDXツールとして導入すること自体が目的になってしまう場合があります。過去に流行ったAIビジネスも同様で、数年前は「とりあえずAIを使えば会社の予算がつく」というぐらい、AIを使うことが目的化された時代でした。
しかし、AIを使うための目的が無ければ道具遊びに過ぎませんし、AIをどのように使うのかは目的に寄ります。したがって当然ながら、目的が先に立つべきです。これが手段ドリブンと目的ドリブンの違いです。
手段ドリブンでは道具から始まりますが、目的ドリブンでは目的から始めます。もはやAIは一般的に普及した道具ですので、手段ドリブンでは他社との差別化が難しいです。一方、目的は人間が考えることなので、目的ドリブンによって差別化できる経営戦略やサービスを考え、その上でAIなどの手段を上手く活用していけば良いでしょう。
先述の投資信託でも同様ですが、「こういう目的でAIを使います」という理由が合理的であれば、一時的にパフォーマンスが悪くてもお客様は納得してくれますし、データ・スヌーピング・バイアスの罠からも逃れられるでしょう。このような理由から、ビジネスにおいて成功するためには、目的ドリブンが重要だと考えています。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:なるほど。つまり、鈴木様の研究も、目的ドリブンで行われているということですね。
鈴木教授:そうですね。そうであるべきだと思っています。ただし、工学部においては、道具を改良することが研究課題になったりしますから、手段ドリブンの場合もあります。
私はそれが面白くないと感じているので、各種企業との共同研究を通じて実際に社会に役立つ活動をしたいと思っています。なので、工学部の中でもビジネス展開に関心を持つ少し異端な研究室なのです。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:確かに工学部になると手段ドリブンの方が充実しているイメージですね。また、鈴木様としては、研究のゴールをどのように捉えていらっしゃいますか。
鈴木教授:やはり社会実装ですね。金融機関をはじめ各種企業と研究開発をしていますが、研究成果が実際に社会で活用されることを目指したいです。
ただ、大学研究室は各業界のドメイン知識に疎いため、研究目的が社会や企業のニーズから乖離する危険性が高いです。したがって共同研究の意義は、社会や企業のニーズを把握し、同じベクトルで研究開発を進める点にあります。
大学研究室は手段としての専門技術を持っていますので、ビジネス側の目的と適切に結合させて、世に役立つ新しい価値を提供できたら良いと思っています。これを我々研究室の目的とすれば、産学連携はその手段の一つになります。
茨城大学の新学環「地域未来共創学環」が拓く教育の未来
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:先ほど研究室の話がありましたが、茨城大学では令和6年4月より教育組織「地域未来共創学環」が新設されると伺ったのですが、これまでの学部と比較してどんな特徴があるのでしょうか。
鈴木教授:まさにビジネスと技術の融合です。今お話したコンセプトがまさにそのまま学環に当てはまります。学環とは、学部の連合体を指します。
我々の学環では、人文社会科学部・工学部・農学部が連携しています。人文社会科学部のビジネスのセンスを学びながら、同時に工学部の技術を磨きます。さらに、茨城県は農業が盛んなので、農学部の特色を生かした教育も行います。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:ありがとうございます。最初、貴学のホームページを拝見した際に農学部があることに少し驚きました。農学部と連携して茨城県の特徴を活かすというのも素敵ですね。
鈴木教授:工業も含め、茨城県の強みはモノづくりです。工学部のモノづくりは機械やソフトウェアですが、農学部のモノづくりは食品ですよね。一方、人文社会科学部のビジネスはコトづくりですね。
モノづくりという点で工学と農学は一貫しているので、それをどうサービス展開するか、顧客のニーズを捉えた上手いコトづくりが人文社会科学のセンスになります。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:確かに、モノづくりやコトづくりにおいて、価値をどのように周囲に伝えていくのかという点まではあまり学ぶ機会がないですよね。この学環を通じて、様々な人材が育まれることが期待できますね。
鈴木教授:農産物は結構ブランディングが重要で、例えば「夕張メロン」というメロンを作ったとしても、そのブランドやストーリーを如何に売り込むかが非常に重要です。
そうするとマーケティングのセンスが必要ですし、価格設定やビジネスモデルの知識も重要ですね。農学部だけでなく人文社会科学部のような分野•文理横断の学びを取り入れることは非常に重要で、新しい取組みだと思います。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:確かに、そのブランドから購買意欲が高まる場合もありますね。
また、そういった取り組みに協力する企業や自治体にとって、この学環の存在がどのようなメリットを持つのでしょうか。
鈴木教授:まず率直に言えば、就職におけるメリットがあろうかと思います。茨城大学の学生は1学年あたり約1500人で、学部全体で約7000人、大学院を含めると約8000人ほどです。つまり、非常に多くの学生が在籍しています。
そのような学生たちに、自社や自治体の存在をアピールできる効果があります。もちろん就職だけに留まらず、学環の教育コンセプトであるデータサイエンスやビジネスの観点でもメリットがあると考えられます。
特に、企業や自治体では、DX(デジタルトランスフォーメーション)やEBPM(エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング)などでデータ活用が求められていますが、日本全国的にもスムーズに導入できた事例は少ないでしょう。
理由としては、組織内でデータ活用の文化がまだ育っておらず、特に自治体では国からデータの利用が強く求められる一方で、統計学やデータ活用に精通した職員が少ないことが挙げられます。
こうした状況を改善するために、我々の学環では、学生達が企業や自治体で働きながら体験的に学ぶ「コーオプ実習」を導入しました。給与も貰えます。これにより、企業や自治体においてデータ利活用の文化が促進されると期待しますし、このような文化を醸成したいと考える実習先にとってもメリットがあると考えられます。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:データ利活用の文化を学生と企業・自治体が共に作り上げていくということでしょうか。
鈴木教授:そうですね。書籍「7つの習慣」でいうところの第II領域のタスクですね。緊急ではないが重要なタスクです。これは先送りされがちなので、学生達のコーオプ実習が着手のきっかけとしてお役に立てられるのではと考えています。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:ありがとうございます。近年よく実施されている長期のインターンシップと結構似ている印象を受けましたが、違いはあるのでしょうか。
鈴木教授:一般的な長期のインターンシップでは、授業と直接関係のない作業を行う場合がありますが、コーオプ実習では大学の授業と密接に関連し、授業で学んだ知識を現場で実践することを目的とします。つまり、学内で学んだことを座学で終わらせずに、学外で体験実習することに意義があります。
この体験実習を通じて自己の強みや弱みを知り、再び学内での科目選択に生かしながら学内外の往還学習を通じて、4年間の学びの質を高めていきます。学外での実践経験は自身の学びを振り返る機会として非常に有意義だと考えています。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:ありがとうございます。では逆に、貴学の方から見て学環があるメリットはどのようなものでしょうか。
鈴木教授:まずは、大学というよりも文系と理系を融合する必要性が国としても出てきたわけです。特に日本は伝統的に物事を文系と理系に分けてしまう傾向があります。特に高校の進路指導においては、かなり早期に文系コースと理系コースに分けることが一般的でしょう。
しかし、世の中の課題は単純に文系または理系の枠にとどまらず、両者を融合して解決すべき課題が多いのが現状です。そのため、分野や文理を横断する教育組織が必要だと考え、令和6年度より地域未来共創学環を開設しました。
もう1つの観点は、他の国立大学も既にデータサイエンス系の学部を設置しているため、差別化も必要になります。
一般的なデータサイエンス系の学部は、ビジネス要素にあまり重点を置いていません。名称どおりデータサイエンスを核とすれば、統計学や機械学習、人工知能等の「道具」に比重が置かれ、先述の「手段ドリブン」になりがちです。
しかし、地域未来の活性化という「目的」が先にあり、その後に手段が続くような「目的ドリブン」なアプローチが重要であり、目的と道具を組み合わせて学ぶことに意味があります。そのためには文理融合の学びが効果的であり、さらにコーオプ実習による実践体験も含め、他のデータサイエンス系の学部と違いがあります。
また、補足しますと、私の研究分野は金融ですが、私自身も学生時代から文理融合を自発的に選択していました。学部では物理学を専攻しており、金融を学ぶ機会は全くありませんでしたが、私の興味は金融にあったため独学で学びを深める必要がありました。
やはり、世の中の課題や興味、関心事は文系や理系で分かれることはありません。だからこそ、本質を追求したい学生達の意欲に応じるためにも、文理融合の学びを提供する組織が必要だと以前から感じていました。そして徐々に、日本も文理融合の方向に動き出しました。
しかし、受験制度も変革する必要があるでしょう。現状では、高校2年生から文系と理系に分かれてしまうため、大学が文理融合の組織を設けたとしても、受験が難しくなります。高校側も文理融合のクラスを設けやすいように、受験制度も柔軟に整える必要があると感じます。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:教育機関や受験制度が柔軟に変わっていくことで、より優れた人材が輩出できると感じますね。
AI依存からの脱却!大切なのは視野を広げること
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:AIの話題に少し戻るのですが、例えば、人工知能研究の権威であるレイ・カーツワイル博士が「2045年問題」を提起したことが話題になりました。AIの時代の到来により、実際には就職の機会が減少したり、人間の役割が奪われる可能性はありますか?
鈴木教授:業務の一部が奪われると言うお話であれば、当然考えられます。例えば、弁護士の仕事の全てが完全に置き換えられるわけではなく、六法全書を検索する等の関連業務の一部がAIに代替されるというように、AIができる仕事と人間が行うべき仕事に区別されていくと思います。したがって、そんなに悲観すべき話ではないと考えています。
また、2045年問題やシンギュラリティー(技術的特異点)といった議論は、話としては興味深いですが、根拠に乏しい面があります。現実的には、人間がAIに支配されるとか、人間をAIが超えて人間を脅かすといった話は別の次元の議論であり、1つのSFとして捉えていただく方が良いでしょう。
とは言え、AIの進化により人間の行動様式が変わったり、仕事がある程度奪われたりするのは事実だと思いますので、今の若い人はそれを踏まえて職業選択をするなり、AIに関する基礎的な知識は学んでおくべきでしょう。
ただし、AIの判断は雑なので大雑把な仕事は得意ですが、デリケートな仕事は人間の方が適している場合があります。
建設現場に例えるならば、基本的には重機クレーンなどの機械を使います。しかし人間にしかできない作業もかなり残っています。ChatGPTも同様で、あらゆる質問にざっくりと回答するのは得意ですが、あくまでも統計的な平均値を出しているだけなので、普遍的な回答になりがちです。
つまり、デリケートな部分は人間の仕事として残るので、AIにできない隙間をビジネスチャンスと捉え、戦略的にキャリアを築いていくと活躍できる機会が増えると思います。
例えば個人的な予想ですが、人間同士の繋がりはこれからますます重要になるはずです。どんどん効率化社会が進めば、大雑把な人付き合いはAIが担うと思いますが、それはやっぱり人間にとっては寂しいですよね。
人間の心の隙間を埋めるのはやはり人間でしょうから、効率化社会の歪みを埋めるような仕事は人間が行うものとして際立ってくるはずです。
例えば、グラスに大きな氷を入れたとして、その隙間に小さい氷を入れると、グラスはパンパンになります。この例で言うと、AIや機械が大きな氷を扱い、その隙間を埋める小さな氷は人間が扱うということになります。
このように、粗大な作業はAIや機械の役割に、細かな調整や隙間埋めなどデリケートな作業は人間の役割となる可能性があります。これまでの産業革命も同様ですね。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:なるほど。グラスの中の氷で考えると非常に分かりやすいですね。
改めて最後に、AI時代の到来を見据えて、充実したキャリアを形成していくために、これから社会人になる大学生や学生の皆さんは今何をすべきでしょうか。鈴木様のご意見をお聞かせください。
鈴木教授:難しい質問ですね。何をもって充実したと感じるかは人それぞれなので。近年のように価値観が多様化されると、答えも1つではないため、何をすべきかは自分で考えるべきでしょうね。自由を得た代償ですね。
価値観が多様化した背景として、テクノロジーの発展によって様々な制約が取り払われたからですが、このままテクノロジーの発展に依存することに疑問を感じています。
例えば、幸福感を得るためには、スポーツなどにも興味を持つことが大切だと思っています。芸術やエンターテイメントも重要ですが、心だけでなく身体の健康も重視するならば、スポーツが最も効果的でしょう。
最近、私はJリーグに興味を持ち始め、毎週スタジアムに通って、推しクラブの旗を振って応援しています。これはテクノロジーへの批判的な考えも影響しており、テクノロジーの発展は経済を回す材料として重要ですが、我々の幸福にはあまり寄与しないのでは?と思い始めたことがきっかけです。
実際に、日本人の幸福感は戦後直後からほとんど変わっていない、という統計調査があります。世界各国も概ね同様です。
この点においても、幸福を得るという「目的」と、テクノロジーの進化という「手段」の取り違えが起きており、どうも手段の方が優先されている気がします。そういったことから、スポーツこそが幸福を得るための「手段」と考え、今更ながらJリーグの応援に行くようになりました。ちなみに、仏教の重要さもひしひしと感じています。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:興味深いご意見をありがとうございます。テクノロジーに対する依存について疑問を持つことは重要ですね。
鈴木教授:AIなどテクノロジーの発展により絶対的な幸福を高める努力は悪いことではないのですが、生活に必要なテクノロジーを概ね手に入れた現代では、相対的な幸福の方が本質になりつつあるように思います。
自分のやりたいことを、流されることなく自分で見つけることが重要であり、そのためには若いうちから視野を広く持つべきというのが1つのメッセージかなと思います。新しい挑戦を続けながら、新しい経験や気付きを得る過程において、相対的な幸福を実感できるのではないでしょうか。