工学技術を教育活動に応用した研究分野を「教育工学」と言いますが、具体的にどのようなことを追求する研究なのでしょうか。また、文部科学省が進める「GIGAスクール構想」により、現代の小中学校の学習風景はどのようになっているのでしょうか。
そこでこの記事では、ICT環境と学びの可能性について、教育工学のうち主に「1人1台端末」「クラウド」といった教育におけるICT環境の活用について研究されている山梨大学の三井准教授にお話を伺いました。
山梨大学 教育学部附属教育実践総合センター 准教授、博士(学術)
三井一希 (みつい かずき)
1982年山梨県北杜市生まれ。
新潟大学教育人間科学部を卒業後、山梨県内の公立学校、台北日本人学校(台湾)、常葉大学専任講師等の勤務を経て、現職。熊本大学大学院教授システム学専攻博士後期課程修了。
文部科学省「GIGAスクール構想に基づく1人1台端末の円滑な利活用に関する調査協力者会議」委員、文部科学省 学校DX戦略アドバイザー、デジタル庁 デジタル推進委員、日本教育工学協会理事などを務める。
令和6年度発行 小学校教科書(算数・理科・生活)編集協力者、令和7年度発行 中学校教科書(数学・技術・家庭)編集協力者。
最適な教育方法の探求「教育工学」の魅力とは
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:まず最初に、三井准教授の研究テーマである「教育工学」について教えていただけますか。
三井准教授:簡単に説明すると、教育工学は教育者がよりよい教育をするためにはどうすればいいのかを追求している学問です。したがって、教育工学においては「Why(なぜか)」よりも「How(どうすれば)」を重要視しています。
例えば、学習が苦手な子が居たとします。この場合「なぜこの子は学習ができないのだろう」と考えるのではなく、「この子が学習できるようになるにはどのような方法があるだろうか」と考えることが重要です。
そこで一昔前であれば、プリントやワークシートを工夫するなども1つの方法でしたが、昨今では学びの中でもICTやデジタルを活用することが当たり前になってきているので、そういったツールを使ってよりよく学ぶためにはどうすればいいかを追求しています。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:文部科学省が進める「GIGAスクール構想」では、義務教育を受ける児童生徒のためにICT環境を整備していますよね。三井准教授の専門分野である「1人1台端末」や「クラウド」についても詳しくお話しいただけますでしょうか。
三井准教授:文部科学省では国策として、小中学校の子どもたちに1人1台の学習者用PCを整備しています。したがって、現代の小中学校の子どもたちは「1人1台端末」で授業をすることが当たり前になっています。
また、合わせて高速ネットワーク環境(Wi-Fi)とクラウド環境も整備しています。クラウド環境を置くことで、学校外からも同一のデータにアクセスすることが可能になりました。IDとパスワードさえあれば学校外の端末でもデータにアクセスできます。現代は世の中にもクラウドを使ったサービスが増えていますが、そういったものを学習にも取り入れています。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:現代の子どもたちは、そんなに便利な環境で学習をしているんですね!
三井准教授:そして、教育におけるICT化の一番大きな特徴としては、授業の中で共同編集ができることでしょう。従来だと手を挙げて発言しなければ自分の考えを伝えられなかったものが、共同編集機能を使って入力すれば、瞬時にクラス全体に自分の考えを届けられます。逆に言うと、クラスメイトの意見が全て自分の手元に集まってきます。
そうすることで、自分の考えと比較してよりよい意見を生み出せたり、どう考えるか見当がつかなかったりする子はクラスメイトの意見を参考にしたりすることもできます。
また、この共同編集機能を使うことで同じファイルに何人でもアクセスが可能になります。例えば、グループ活動の中で共同でプレゼン資料を作る際にも非常に便利です。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:すごいですね!これが現代では当たり前の光景なんですね。
三井准教授:授業の幅が広がるだけでなく、子どもたちの表現力の向上も期待されています。
ICTに興味を持ったのは小学校教員の経験から
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:三井准教授は以前小学校の教員をされていたと存じておりますが、小学校教員から大学教員へなられた経緯はどういったものでしょうか。
三井准教授:元々小学校の教員をしていた中でICTやデジタル・テクノロジーに出会ったのがきっかけです。
当時は「1人1台端末」などが存在していなかったので、手元のものを拡大できる実物投影機に注目していました。
例えば、昆虫の学習をしている時、教科書には昆虫の体の仕組みが拡大図などで示されていますが、実際に昆虫を教卓に置いても体の仕組みは近くで見ない限り分からないと思います。
そこで、この実物投影機を使うことで教科書通りに昆虫の体が大きく映されるので、子どもたちはスクリーンを見て感動したり、意欲的に学び始めました。
こういったきっかけから、小学校教員に身を置きながらも、ICTの良さやICTが学習へ与える影響について非常に興味を持ちました。そしてそれを他の教員にも伝えたいと思うと同時に、ICTを得意とした教員を育成する側にも回りたい、他の教員の優れた授業を科学的に追求したいと考えました。
また、自分自身が大学院で学んだ経験もきっかけとしては大きかったです。私は大学の学部を出てすぐに教員になったのですが、そこから学び足したいと思い働きながら大学院に行くことにしました。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:小学校教員として働きながら大学院に行くのは非常に大変だと思いますが、どのように両立されていたのですか。
三井准教授:確かに、地方に住んでいて働きながら大学院に通うのはなかなか難しいのですが、私が行った大学院はe-ラーニングが可能だったので通う必要がありませんでした。
つまり、ICTを使い先生とレポートのやり取りをしたり、課題に対してオンラインで取り組んだり、全国の仲間とオンライン上で交流したりすることができたのです。
そういった意味でも、自分自身の学びの幅や可能性を広げてくれたのはICTであり、大学院に通って学位を取れたのもICTのおかげです。自分自身が感じたICTの良さを色々な人に伝えたい、子どもたちの教育の可能性も広げたいと考えたのは、こういった経験の影響が非常に大きかったと思います。
教育の場におけるICTの可能性
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:それでは最後に、現在教育の場でICTが活用されている事例をいくつかご紹介いただきつつ、教育の場におけるICTの可能性について三井准教授のご意見をお聞かせください。
三井准教授:今までは、ICTは教える道具としての活用がほとんどでした。例えば、分かりやすく提示するために教科書を拡大する、手元を写す、スライドで板書の代わりに説明するなどがありますが、主に教える手段として利用されていました。
それが「GIGAスクール構想」により子どもたちの学習環境が整備されたことで、授業形態も大きく変化しました。
例えば、先生が口で説明するか板書で書くかでしか伝えられなかった授業の流れについても、Google ClassRoomやMicrosoft Teamsを使うことで、そこに授業の流れを示すことができます。メリットとしては、欠席した場合でも授業を見返すことができたり、不登校で教室に入れない子でも遠隔で授業を受けたりすることができたりします。
また、先ほどもお話ししましたが、クラウドの機能が使えることで共同編集機能でクラスメイトの発言を画面上で共有できるようになりました。メリットとしては、手を挙げて発言することに抵抗・困難を持つ子でも入力することで瞬時に意見を伝えることができる点や、クラスメイトの考えが手元に届くことで自分の考えと比較がしやすくなる点があります。
その他だと、1人1台端末があることで自分で情報を取りに行くことができます。今までは先生から教えてもらうことが多かったですが、必ずしも先生から教えてもらうだけではなく、インターネット上で公開されているより分かりやすい解き方などを自分で見つけることもできます。また、先生がクラウド上の共有フォルダに資料を入れておけば、児童生徒自身がそのフォルダにアクセスして自分の好きなタイミングで情報を取ることも可能です。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:なるほど。ちなみに、体育の授業などでも活用事例はありますか。
三井准教授:もちろんあります。端末があることで自分の動きを撮影して何度も見返したり、仲間からアドバイスをもらったりできます。端末を利用し自分の撮りたいものを残しておける点は、理科や生活の観察でも活用されています。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:撮影できるのはとても便利ですね。「AIドリル」なんてものも聞いたことがあるのですが…。
三井准教授:「AIドリル」は自分の得意不得意に合わせてAIが自動的に問題を出題してくれる機能で、より自分に合ったレベルの問題を授業中に演習できます。今までは皆が同じ問題を解いていましたが、一人一人習熟度や興味関心は異なるので非常に重宝されています。
こういったことが誰でも公平にできるようになったのが、現代の学校現場でのICT活用事例です。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:ありがとうございます。最近ではChatGPTなど生成AIも普及していますが、教育でも活用されているのでしょうか。
三井准教授:生成AIは学校現場での活用も始まっていると思います。しかし、教育現場においては慎重に使うべきでしょう。
生成AIは確かに便利ですが、教育の場では「文章を生成する」結果よりも、「文章が作成できる」という力を養うことが重要になってきます。生成AIで作られた文章は、自ら作成するというプロセスを経ていないことになるので、文章を作ることを目的とした場面には適していないでしょう。
例えば、カレーは手作りでもレトルトでも作ることができますね。手作りカレーは人間が作る、レトルトカレーは生成AIが作るとします。手作りカレーは手間もかかりますし、レトルトでも同じカレーはできますが、作り方を学ぶことを目的とするならレトルトに変えてはいけないでしょう。
一方で、世の中には便利なレトルトカレーがあります。簡単に作れるので、「疲れたから今日はレトルトカレーにしよう」と利用することができます。生成AIも同じことで、より効率的にするために活用することが大事です。
また、レトルトカレーをアレンジすることで手作りカレーを上回ることもありますよね。同様に、生成AIで一度文章を作成しブラッシュアップすると、自分が0から作るよりもより優れた文章ができるかもしれません。
このように、カレーを作ることと同じで、目的に応じてどちらを使うべきか先生が慎重に見極めていく必要があります。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:非常に分かりやすい例をありがとうございます。どちらにも良さがあるからこそ、使い分けることが重要なのですね。
三井准教授:生成AIの活用の仕方でもう1点お伝えするとしたら、生成AIにも苦手なことは勿論あるので、生成AIが出来ることや使うと便利な場面などをある程度知りながら日々の生活に役立てる経験をさせることでしょう。
便利でいつも使用しているスマホでさえ、その詳細な技術や歴史を知っている人は少ないと思います。つまり、詳細な技術や歴史を知らなくても、どう使えば便利なのか、何をすると危険なのかということを概要として知りつつ上手く付き合うことが大事です。これは生成AIも同様です。
一般社団法人日本ファイナンス協会 編集部:AIの活躍の場が増えている現代だからこそ、意識すべき考え方ですね。
生成AIについて1点気になることがあるのでお聞きしたいのですが、例えば就職活動の場などでも「エントリーシートを生成AIに作らせているのではないか?」など企業に疑われる可能性もあると思いますが、就職活動における生成AIの活用についてはどうお考えでしょうか。
三井准教授:私も普段大学で学生が提出するレポートを見ているので、そこは頭を悩ませますね。ただ、生成AIを使ってはいけないと規制しているわけではないので、使用してしまうことは仕方ないと思います。
逆に言うと、「これだけ便利なものがある世の中で、生成AIを叩き台にしてブラッシュアップして作ってこないなんて、この人はテクノロジーを満足に活用できないのか?」と捉える人もいるかもしれません。
一方で、ゼロからどれだけ文章を自力で作れるのかを問いたいのであれば、試験のように一箇所に集めて作成させるしかないでしょう。
エントリーシートは各自で家で作成する場合がほとんどですので、たとえ生成AIがない時代でも、先輩や就職課からアドバイスをもらったり何かを参考にしてブラッシュアップして提出したりする人が多かったと思います。生成AIによってそれがより効率的になったというだけでしょう。
だからこそ、企業側は「AIを活用して作ってくるだろう」という前提で選抜をする必要があると思いますし、そこで見取れる力は極々一部でしかないと考えるべきです。
面接時にプレゼンテーションをしてもらうとか、逆に「今あるテクノロジーの何をどう使ってもいいのであなたが最高と思える企画書を作ってください」という形式にするとか、生成AIをいかに上手く使えるかを見定める試験の形に変えていかないと齟齬が生じてしまうと思います。
したがって、生成AIの使用を規制するよりも、生成AIを活用してよりよいものを作り上げる能力や、それ以外の部分などを多面的に判断することが大切だと思います。